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エトセトラ

ブラックバスと漁業権(第5種共同漁業権免許)

 富士五湖 ブラックバス元年1989

河口湖のブラックバスが初めて漁業権魚種に認定されたのは1989年のこと。芦ノ湖に次いで2例目だった。

日本で最初にブラックバスが移植され、古くからこの魚が漁業権の対象となっていた芦ノ湖は特別な湖として見られていたため、河口湖漁協にブラックバスの漁業権免許が与えられたことは当時大きな話題となった。

富士五湖におけるブラックバスの魚種認定は河口湖がまず先行し、1回目の更新時(1994年)に山中湖と西湖が続いた。それ以後、同魚種認定を申請した漁協はあったが、外来生物法(2005年)の施行もあり、4湖に限定されている。

第5種共同漁業権免許(内水面の漁業権免許)が漁協に与えられる期間は10年間で、山梨県では2004年1月1日に前回の免許更新が行われ、今年12月31日に免許期間の満了を迎える。

今号のバスマガではブラックバス漁場管理の節目を迎え、ブラックバスの漁業権を取り上げてみた。

まずはバスフィッシングのメッカと呼ばれるようになった河口湖の1989年を振り返ってみた。

■町村・漁協・観光協会・JBTAの6団体がまとまった魚種認定陳情団

1989年はNBCチャプターがスタートした年。東は河口湖、西は琵琶湖を中心にプロトーナメントが開催され、「若獅子」今江克隆さんが初めてバスアングラーオブザイヤーを獲得し、このバスマガジンもモノクロページのみで創刊された。

初年度のバスマガバックナンバーに目を通すと、山下 茂会長の巻頭のあいさつ文のテーマは約半分が「ブラックバス魚種認定」についての報告だった。

富士五湖で賞金制のトーナメントが開催されてから5年が経過し、ようやく地元でもバスフィッシングの社会経済的効果が認められるようになったころだった。

山下会長はバスプロ協会の組織運営を引き継いだ当初から魚種認定促進運動にとりかかった。ブラックバスが漁業権の対象魚種となり、保護増殖することがバスフィッシングの普及には絶対必要条件と確信していたからだ。

1986年にはJBTA副会長を務めていた長島常雄氏をリーダーに『ブラックバス漁業権魚種指定促進実行委員会』を設立し、漁協には「ブラックバスと共存共栄」を、自治体には「バスフィッシングによる経済効果」を訴えた。

この当時は富士河口湖町が統合される前で、河口湖町、勝山村、足和田村の3つの町村にまたがり、漁協も含めて自治体と何度も話し合いの場がもたれた。

全国の例にもれず、河口湖でもブラックバスが駆除対象になっていた時期もあり、魚種認定促進運動を開始したころはまだ反対派もいた。だが、時間の経過とともに理解が深まり、1988年の魚種認定に向けた公聴会では地元からまったく反対意見がなくなり、その年に町村、漁協、観光協会、JBTA(日本バスプロ協会)の6団体の連名で魚種認定を希望する陳情書を提出。そして、翌年の1989年に河口湖のブラックバスが漁業権の対象となった。

当時は「ブラックバスに市民権を!」なんてフレーズがよく使われたが、ブラックバスが河口湖の住民として認められた日といえるだろう。

■遊漁料徴収を快く受け入れた釣り人たち

河口湖でバスアングラーから遊漁料が徴収されたのは1989年7月20日からだった。初年度の日券は大人600円、小人300円、現場売り1,000円、年券は10,000円に設定された。

それまでバスフィッシングは無料が当たり前だったため、釣り人への負担で釣り場から足が遠のくことも懸念されていた。

山下会長は機関誌でこのように訴えた。

「魚種認定後はワカサギやヘラブナ釣りと同じように遊漁料が必要となりますが、快く進んでお支払いください。バスの義務放流やエサとなる小魚の育成、釣り場の整備などをお願いしましょう」と。

山下会長のバスフィッシング普及構想の軸は、バストーナメントの全国展開と、地域と一体となった釣り場作りの二本立て。河口湖はそのモデルとなり、NBCチャプターの設立でバストーナメントは地方でも盛り上がりを見せるようになった。

山下会長が1989年を「ブラックバス元年」と呼んだのも、将来に向けてバスフィッシング普及の展望が開けたからだろう。河口湖だけでなく、JB・NBC、バス業界にとっても1989年は大きなターニングポイントとなった。

魚種認定の初年度、予想を上回る釣り人が河口湖を訪れたことは、バスファンの河口湖への期待の表れだったといえるだろう。

この当時はバスプロたちも自主的に釣り場作りに参加した。吉田幸二さんを中心に『BASS AID』というザリガニを他の水路で釣って河口湖へ運ぶイベントが行われたり、宮田貞夫さんたちのグループは河口湖へ行く前にベイトフィッシュを捕ってせっせと河口湖へ運んでいた。

みんなでバスフィッシングを育てようとがんばっていた時代だった。


ブラックバス漁場管理に関する主な動き

1925年 芦ノ湖へ移植

1949年 漁業法制定(施行期日は1950年3月14日)

1951年 芦ノ湖のブラックバスが漁業権魚種に指定(※1)。

1986年 河口湖にてブラックバス漁業権魚種指定促進実行委員会(長島常雄委員長)発足。

1988年 河口湖漁協、河口湖町をはじめとする町村、観光協会、JBTA(日本バスプロ協会)など6団体で魚種認定を希望する陳情書を提出

1989年 河口湖のブラックバスが漁業権魚種に認定

1994年 山中湖・西湖のブラックバスが漁業権魚種に認定

2000年 芦ノ湖が漁協の遊漁規則等でワームの使用を禁止

2001年 河口湖で遊漁税(法定外目的税)を導入。

2003年 神奈川県漁場管理委員会指示により、芦ノ湖を除く神奈川県内の公共水面においてブラックバスのリリースが禁止

2004年 河口湖が2度目、山中湖と西湖が最初の漁業権免許更新

2005年 外来生物法施行

     山梨県漁場管理委員会指示により、河口湖・山中湖・西湖を除く山梨県内の公共水面においてブラックバスのリリースが禁止

2007年 河口湖が漁協の遊漁規則等でワームの使用を禁止

2013年 芦ノ湖は8月31日、河口湖・山中湖・西湖は12月31日に第五種共同漁業権免許期間の満了を迎える。外来生物法施行以降、初めての同免許の切り替えとなる。

<※1> 芦ノ湖のブラックバス漁業権(補足)

神奈川県における1951年のブラックバス漁業権魚種認定は、漁業法が制定後に同県に残っている最も古い記録です。芦之湖漁協・鎌倉俊数事務局長によると、漁業権は江戸時代から受け継がれ、廃藩置県に伴い明治政府からも漁業権が与えられた記録が残っているとのこと。芦ノ湖では県ではなく国の管轄(国策)として漁業に取り組んでいた時期もありました。大正時代は現在のように魚種単位の免許ではなかったため、ブラックバスが移植されたとき(1925年)から当時の漁業権にブラックバスも組み込まれていると漁協では認識しています。

バスマガジン2013年夏号より
まとめ:バスマガ編集部K

 

固定リンク  2013年08月21日(水)  

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